-介護の今と昔- TIMELEAP
排泄ケアの変遷
この企画は、介護のあり方の変化に着眼し、昔の介護を振り返り、今の介護との違いを見直そうとするコーナーです。
解説は、「介護福祉経営士」情報誌 Sunにおいて「タイムトラベル~ケアの過去・現在・未来を探る旅」を執筆されている、神奈川県介護福祉士会所属の井口健一郎氏(小田原福祉会潤生園施設長)と風晴賢治前常任理事が対話形式でケアの昨今について語ります。
まず、1回目は施設の移り変わりの必要性について確認したうえで、『排泄ケアの歴史』を見ていきましょう。
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井口 健一郎
KENICHIRO IGUCHI社会福祉法人 小田原福祉会 理事
特別養護老人ホーム 潤生園 施設長
神奈川県介護福祉士会所属
創価大学大学院卒業後、小学校教員を経て
2009年社会福祉法人小田原福祉会に入職
神奈川県認知症ケア専門士会理事
桜美林大学 和泉短期大学 非常勤講師 -
風晴 賢治
KENJI KAZEHARU社会福祉法人 徳誠福祉会
障害者支援施設 徳誠園 施設長
日本介護福祉士会前常任理事
青森県介護福祉士会理事(前会長)
立正大学卒業後、身体障害者療護施設に生活指導員として入職
高齢者施設、地域包括支援センターセンター長を経て現在に至る。
青森大学非常勤講師
青森県社会福祉協議会代議員
第1章『施設の移り変わり』
第1章『施設の移り変わり』
1970年代のケア
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風晴
- 最初に申し上げたいのが、私がいる青森という地域性です。都市部とは違い、経済的格差、閉鎖性や冬期間の生活の厳しさが施設や住民の意識に大きく影響しています。
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井口
- 私も雪国にいたのでわかります。気候が与える生活の影響がありますよね。その地域の生き方というか。習わしというか。
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風晴
- はい。昭和50年代は、まだ障害者が自由に外出することや地域の一員として活動するという発想ではなく、家に閉じこもっていたり、長期入院していた障害者を施設に収容して集団で介護をするといった時代でした。様相が変わったのが、昭和56年の『国際障害者年』です。メディアがタレント達のイベントを取り上げ、「典子は今」というサリドマイド被害者の女性を取り上げた映画が上映されたりして、世の中が障害者に対する見方を変えるきっかけとなったと思います。
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井口
- ちょうどその時期ですね。以前の社会福祉施設は高齢者施設も障害者施設も、誤った認識から人里離れたところに作り、「社会防衛的」な機能を目的とする収容施設と考える人が少なくありませんでした。しかし、当事者や家族、専門職が本人たちの人権を訴え、世界的にもそういったムーブメントが起き、隔離収容する目的の場ではなく、福祉サービスを必要とする人々にとって当たり前の選択肢の1つとしての「生活の場」となり、心身ともに健やかに育成され、その能力に応じた自立した生活を営むことができるように支援する場という考え方に変わりましたね。昭和の時代はまさに様々な変革が起きた時代であったように感じます。QOLや自立支援の概念もそう昔にできたわけではないということですよね。
第2章『排泄ケアの歴史』
排泄ケアの必要性
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風晴
- 井口さんにご質問します。排泄ケアの大切さについて教えてください。
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井口
- 3大介護の1つでもある排泄ケアは、介護においてとても重要なケアです。排泄ケアを通じて、健康状態、生活状況をアセスメントし、生活課題を分析、予後予測をするなど、介護計画につなぐことができます。
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風晴
- 高齢者の多くは便秘傾向がありますね。
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井口
- そうですね。高齢者は男女ともに便秘が多い傾向にあります。原因は、食事内容、運動不足、腸の蠕動運動の低下、生活リズムや生活習慣の乱れにより慢性化したもの、疾病によるものなどさまざまな要因があります。便秘といっても侮れません。場合によっては、死に至るケースもあります。便秘の原因を究明するし、改善策を講じることが排泄ケアの第一歩となり、高齢者の健康を保持することにつながります。
排泄ケアの昔と今
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風晴
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私が介護職になりたての当時、施設では、おむつはまだ定時交換が主流で、大きなホールでの全員による食事や大浴場での入浴等、流れ作業的な介護(当時は介助と言っていた)を寮母と言われるケアワーカーが行い、大規模施設が次々に開設した時代でした。
私がいた施設は当時50人定員で、2部屋に対して1つのトイレがあり、数だけは割と恵まれていました。ただ、当時は頚椎損傷や難病の利用者が多く、排泄に時間を要するので、トイレの待ち時間が長かったのが思い出されます。また、自力排泄が出来なく、浣腸を使用する利用者が多かった印象です。おむつはまだ布で、大きなポリバケツに使用済みのおむつを入れ、洗濯業者に出していました。
外出に対しては消極的な利用者が多く、その理由は「人に見られるのが嫌だ」ということの他に、「トイレの不安がある」ということを訴える人が意外に多かったです。当時はバリアフリーという概念も乏しく、道の駅もまだ存在せず、障害者用トイレ(洋式トイレすらない店や公共施設が多かった)を設置しているところがまだ少なく、事前に下見に行くと、あからさまに嫌な顔をされたり、時には他の客の迷惑になるので、来ないでほしいとまで言われたことがありました。排泄の不安が生活や意欲の低下を招き、障害者が世間とまだまだ大きな隔たりを持っていた時代でした。
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井口
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よくわかります。排泄の問題は自尊心に直結しますね。私も布おむつで排泄ケアをしたことがありますが、全く歩けないほど大きく重い(笑)どちらかといえば本人視点というよりは介護者視点で作られたもののように感じました。
私の施設である潤生園が創設されたのは、昭和50年代(1978年)です。多くは脳梗塞の後遺症による片麻痺の高齢者がほとんどでした。潤生園に暮らす中で、ご利用者が一番悲しんでおられたのが、排泄の問題です。「オムツをつけたことによって私は人間でなくなった」と。私たちは子供の頃から排泄は自分で処理しなくては恥ずかしいものと教育を受けてきました。排泄ケアは自立の中心であり、尊厳に関わる大切な部分です。
この「オムツ」という言葉がどれだけその人を傷つけたか。そういった中で当時の職員たちは、「オムツ交換ではなくマット交換」という言葉にしようと決めました。その後、排泄の感覚が分かる人には、コールを押してもらえるよう、お願いしました。しかし、一向に押してくれる人はいませんでした。その背景には、「自分の排泄の始末を他人にやってもらうことは申し訳ない」という気持ちがあったのでしょう。職員会議で私たちは「コールを押して教えてもらったらみんなで喜んでいこう」と決めました。その中で、押してくれる人が現れました。その時、職員たちは教えてくれたことに大いに喜びました。私たちの喜ぶ姿をみて、「いつも自分は『ありがとう』と周りにばかり言っている。ここにきて、自分が初めて『ありがとう』と言ってもらえた。」と、言っておられました。そのことが、その方にとってどれだけ大切なことだったか。そのことにより生きる意慾につながったと私は確信しました。それからは徐々に他のお年寄りも押してくれるようになり、排泄のタイミングも分かるようになりました。出る前に教えてもらい、栄養を取りながら全員オムツ外しができたそうです。四肢麻痺の高齢者でも会話が成立し、コールによる排泄のタイミングを伝えることができたため、施設のケアの体制づくりも容易でした。トイレも片麻痺の人が体を預けられるような柵を作ったり、手作りで整えてきました。
第2章『排泄ケアの歴史』
利用者の変化
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風晴
- 私が特別養護老人ホーム勤務時代(措置から介護保険制度導入初期)には、青森県は脳血管性障害の発生率が極めて高く、30年くらい前までは特養利用者の7~8割を占めていました。
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井口
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昔と今とでは、入居利用者像も変わりますね。
介護保険制度が始まった平成12(2000)年から平成28(2016)年に推移する間、特別養護老人ホームの入居者は高齢化が進み、入居者の平均年齢は90歳代となり、しかもその9割が認知症です。認知症の高齢者の増加とともに日常生活自立度の低い高齢者が多くなってきました。以前のような脳梗塞の後遺症の高齢者ができていた、健側で自らの身体を支えることも、上下肢筋力の低下により支えきれません。重度の認知症により意思疎通が難しいケースが増え、ケアの体制づくりも難しくなっています。入居者像の変化が、排泄ケアにも大きな影響を与え、排泄ケアに対するアプローチが大きく変化していますよね。
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風晴
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はい。1980年代は片麻痺や関節が拘縮している高齢者が多く、便秘対策が急務でした。紙おむつは各社から出始めていましたが、コスト面や性能に課題があり、まだ布オムツを併用していた時代でした。
思いだすのが、施設のホールに山の様な布おむつたち。それを利用者が、せっせと折り畳んで重ねていく。そこは職員や利用者間のコミュニティのような場になっていて、知らず知らずの間にそれぞれの役割が存在していました。おむつ交換や清拭等で各居室を回る台車(通称おむつカー)はオーダーメイドで、施設オリジナルの特徴がそれぞれあって、感心させられたのもこの頃でした。利用者個人の排泄パターンを検証し、おむつ外しをどう展開するか。各メーカーの紙おむつの性能や特徴のチェックをし、サンプルでモニタリングをしたり、多くの業者が次々とおむつの売り込みに来るといった時代でした。
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井口
- まさに現在は様々な研究がなされ、たくさんの福祉用具やおむつについても様々なメーカーがよりよいものを作っています。実は意外に知られていないお話を一つ。高齢者施設で布オムツが主流であった昭和58(1983年)、ある研究者がスウェーデンを訪れた際に紙オムツのTENA(テーナ)という商品に出会い、そのクオリティに感動したことが日本で大人用オムツが普及するきっかけとなりました。紙オムツに対する懐疑的な意見が多い当時、その研究者はスウェーデンからアドバイザーを招聘し、高齢者施設に泊まり込んで実証実験を行いました。アドバイザーは、施設の排泄ケアのパートナーとして、夜間安眠にはどのアイテムが適切か、尿漏れしないためにはどのアイテムが適切かなど、一人ひとりの排泄習慣を捉えるために、施設の排泄ケアに深くコミットしました。紙オムツの開発、普及を通して、高齢者一人ひとりに寄り添うことが促され、排泄ケアを進化させたのです。TENA(テーナ)の普及を皮切りに、国内メーカーの大人用オムツの商品開発が加速し、テープ式やパンツ式に紙オムツが開発されたのもこの時期です。赤ちゃん用のオムツがお年寄り用になったわけではなかったんです。
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風晴
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なるほど、そうだったんですね。今では、様々な排泄用品がありますね。ポータブルトイレも進化し、木目調の物から水洗や洗浄機能のある物、その他、昇降機能、自動処理機能のついたポータブルトイレも登場し、日進月歩の進化をしています。
紙おむつは、在宅高齢者だけでなく、ほぼすべての施設で使用していて、一時期紙おむつの廃棄処分問題が持ち上がったこともあり、最近は、再利用できる紙おむつができていますよね。
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井口
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はい。現在でも、排泄用品ついては研究開発が進められています。
体内の残尿量を計測する機器や排泄処理をする機器などの研究開発が活発に進められています。オムツや尿取りパッドのポリマーの吸収量が改善したことから、夜間3時間おきにオムツ交換していた施設も入居者の排泄のタイミングで交換することができるようになりました。また、尿の溜まり具合を検知し、排尿のタイミングを予測する機器により、入居者の睡眠を優先できるようになってきています。
オムツから尿取りパッドに変更できる高齢者も多く、布パンツを着用できることから皮膚トラブルも減っています。その他にも、衛生面を考慮した使い捨ての用品が増え、衛生環境も格段によくなっています。排泄用品や機器の進化とともに、排泄ケアのあり方が変化してきています。高齢者に寄り添いながら生活の質(QOL)を高め、暮らしを支えるためにも、適切な排泄ケアは高齢者の尊厳を守る重要なケアと言えます。
排泄ケアと人権
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風晴
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高齢者や障害者の虐待問題も潜在化し、特に男性が被介護者を身体虐待する原因の第1位は、排泄の後始末や失禁トラブルのストレスから虐待するという理由が多いように感じます。人間の生理的欲求は普遍的なもので、いくら理想論や人権について声高に論じていても、排泄を訴えている人のその行為を無視すれば、決して介護の専門職である介護福祉士だと名乗ることは憚れるのではないでしょうか。
現在、私も障害者支援施設に身を置いていますが、現実的な悩みとしては、トイレに異物を捨てて詰まらせたり、水洗トイレの水を飲んだりする利用者がいることと、便秘による腸閉塞や腸捻転、また人工肛門に移行する利用者が増えてきているように感じます。
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井口
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まさに、排泄ケアは、ただの排泄物処理ではなく、健康のバロメーターとなり、排泄状況に着目することはとても重要なことなのです。各施設では食事を摂取してから排泄までのトランジットタイムにおける体調や健康状態を把握することに努め、食物の分析から排泄するまでの一連のメカニズムをアセスメントすることにより、食事改善を行う取り組みが拡がっています。夜間の排泄ケアは、睡眠の質や副交感神経にも影響し、日中の生活リズムを整えるためのベースとなります。また、食事のリズムが一定である施設において、以前はトイレへの誘導を定時誘導していましたが、排泄日誌などから排尿時期、排便周期を把握し、高齢者一人ひとりの適切なタイミングで誘導するケアが行われるようになっています。
私が家族介護教室を小田原市で行なっている中で、在宅介護の限界点をおっしゃられる家族介護者の多くは排泄ケアの問題です。これは10年以上前の話になりますが、私には忘れられないエピソードがあります。特養で看取ったOさんというご利用者さんの話です。Oさんと出会ったのは、私が特養に来る前にいたショートステイの頃からです。
当時Oさんは娘さんと二人暮らしをされていました。ショート時代に娘さんはとても明るく親切そうな方でした。しかし、娘さんはOさんが特養に入居してからは亡くなる直前まで一度も顔を見せられませんでした。Oさんが亡くなられてから3ヶ月経った後、娘さんから「井口さん今だから告白します。私は母が自宅にいた時に母親を殴っていました。」と、私に衝撃の告白をされました。お話を伺うと「夜、物音がすると母が壁中に便を塗りたくっていたり、好き放題放尿していたりして、お母さん何でこんなことするのと泣きながら母をひっぱたいていました。そして寝不足の中、仕事に通っていました。ショートステイに送り出した時には、あーよかった。今週も私は母に手をかけないで済んだとほっとして崩れていました。」と。その後、特養に入所が決まった時には娘さんはものすごい罪悪感にかられたそうです。「自分は母親を見捨ててしまった。」と。そして、「亡くなる直前、ためらいながら、ここで行かなかったら後悔する、と勇気をふりしぼって、特養に行きました。最期の三日間は母が一呼吸一呼吸、一生懸命息を吸う姿を見て、お母さんとの楽しい思い出も蘇り、お母さんありがとうと心の底から言えました。みなさんに母を預けられて本当によかったです。」と、涙ながらに語られました。
私たちのケアには様々なドラマがあります。その人とその家族の人権を守る専門職が私たち介護福祉士です。排泄ケアは尊厳を守る第一歩だと感じますね。
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風晴
- 今回は、排泄ケアをテーマに様々な気づきがあったと思います。有難うございました。
井口